【教えて頭いい人】ニーバーの祈り
「神よ、われに与えたまえ、
変えられないことを受け入れる心の平静と、
変えられることを変えていく勇気と、
それらを区別する叡智とを。」
これはアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーにより唱えられたとされる祈りです。
自分ではコントロールすることができないことは、あるがままを受け入れるしかない。
自分でコントロールできることは、積極的に介入していこう。
そして、
コントローラブルなのか、アンコントローラブルなのかをちゃんと見極めるようにしよう。
ということですね。
”神”が出てくる時点で、ちょっと胡散臭くて読むのをやめそうになりますが、まともなことを言っています。
(キリスト教に対して上から目線)
アドラー心理学でも「課題の分離」という考え方で全く同じことを提唱しています。
自分の課題と他者の課題を区別すること。
他者の課題に介入しないこと。
自分の課題に他者を介入させないこと。
自分は自分の課題の解決に集中すること。
という話です。
コントロールできないことを無理やりコントロールしようとするのはやめて、結果を受け入れるようにしよう。
というのはわかるのですが、
先生!ここで一つの疑問があります!!
自分がコントロールできる(介入する余地のある)恐怖や不安はそんなに大きなストレスにならないけれども、自分がコントロールできない恐怖や不安は強烈なストレスになってしまう。ということが明らかになってるそうです。
「コントロールできない状況は、潔く売れ入れよう」
VS
「コントロールできない状況は、我々の強いストレス要因」
です。
気になるのは、
「自分でコントロールしようと思っているけれども、コントロールできない」という状況がストレスにつながるのか、
「ストレス要因に対して自分が介入する余地がない」という事実を認知している時点でストレス増強につながるのかが気になります。
前者であれば、受け入れる能力(コンパッション能力というか潔く諦める能力というか)を高めることで対処ができると思いますが、後者の場合は別の解決策が必要になりそうです。
楽観主義者は実際に自分のコントロール配下にない課題に対しても、「制御下にある」と錯覚して楽観を保つそうで、悲観的な人は自分の「制御下にない」と適切に事実を評価するそうです。
(なんてパッピーなやつらだ)
なので、先の例で、「ストレス要因に対して自分が介入する余地がない」という事実を認知しているだけでストレス増強担ってしまうのであれば、楽観主義の人がするような、「制御下にある」という錯覚を自己催眠のように育む必要がある。ということでしょうか。(えぇぇ無理そう。。)
現段階では、
「自分の行動はコントロールできるから、なにかやってみよう。結果自体はコントロールできないけれども、きっとどうにか良くしていくことはできるだろう。」
という考え方をすれば、
課題の分離を達成しつつも、課題に対する自己コントロール感を損なわずにいるマインドセットなのかもしれないなと考えています。
一周回って当たり前なマインドセットに返ってきましたね笑
このあたりどう解釈すればよいのでしょう。。教えて頭いい人!
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