Cardician's Blog

映画鑑賞のようにマジックを楽しむ習慣を

ネガティブな感情って別に悪いことじゃないよね

常にポジティブであることが美徳であるかのような声をたまに聞くことがあります。

ちょっとでもネガティブな感情を抱いている自分はだめなんじゃないか?と自己嫌悪している声も。

別にそんなことないと思ってます。

確かにポジティブな感情を持っていると気分が良いですし、生きていて気持ち良い気がしますが、ネガティブな感情が人間に不要なものだったら、現代までの自然淘汰の中でなくなっているはずです。

不安を感じるからこそ、事前準備を入念にするし、
恐怖を感じるからこそ、危険から身を守ることができるし、
自己嫌悪をするからこそ、PDCAを回そうとするのだと。

不安や恐怖自体を問題視するのではなく、
不安や恐怖を感じる自分はダメな人間なんだと考える思考の癖のほうが問題な気がしています。

不安を感じるなら、「あ、もしかして事前準備足りてないのかも?もう一度チェックしてみよう」と考えたり、
恐怖を感じるなら、「もしかして、危ない橋を渡ろうとしているのかも。。。不要なリスクなら避けようかな。。」と考えればよいと思います。


ポジティブな感情にもネガティブな感情にも、主観的な善悪の解釈をすぐしてしまうのではなく、その状況の自分を冷静に把握して取るべき対策を取る。


自分の感情を否定せず、そのまま受け入れて、対話する。

何が嫌なのか。なんで嫌なのか。どうすれば解決できそうなのか。

変な感情を感じたとき、真正面から向き合うようにすると、セルフコンパッションを高めることにつながるかもしれないなぁと思います。

 

1日1感謝

感謝の心を持ちなさい。とは子供の頃からよく聞いていました。

感謝の気持ちを持ったところで、なにがどう変わるのかわからなかったので、感謝している人が口にするセリフをちゃんと言えばよいか。ぐらいで認識していました。

 

例えば、感謝の気持を持っていようがいなかろうが、この流れ上、感謝を示すセリフを口にしておいたほうが、今後のためにも良さそうだなと思ったら、「ありがとう」と言う。というような形でコミュニケーションを学んできました。

 

末っ子だったこともあり、他人に何かを頼むときに、どうやって頼んだらその人はYESって言ってくれるだろうかということについて考える癖があり、人ごとに戦略的に態度を変えてコミュニケーションができるタイプです。

 

あの人は結構プライドが高い人だから、こっちがへりくだりつつも自尊心をくすぐれば頑張ってくれるだろう。とか、
普通に優しいおっちゃんだから、真正面から息子のように困っていることを相談すれば協力してくれるだろう。とか、
ロジカルな人だから、整然とした態度で論理的に協力が必要なことを示せば良い判断をしてくれるだろう。とかとかです。

なので、意外とコンサル職があっているのかもしれません。

 

そんなふうに育ってきたのですが、こと最近に限ると、ちゃんと感謝の気持ちを持つように心がけています。

 

というのも、感謝することによって、ドーパミン、エンドルフィン、オキシトシンセロトニンなどの脳内物質の分泌量が増えるそうなんです。

ドーパミンは主に期待感を作る幸福物質ですが、エンドルフィンはドーパミンより強い幸福感をもたらしてくれる報酬系のホルモンです。脳内麻薬とも呼ばれるほどです。

オキシトシンは癒やしとリラックスを与えてくれる物質です。

さらに、セロトニンは脳内の神経物質のバランス調整をしてくれるので、精神状態の安定化をもたらしてくれます。

 

感謝ってめちゃくちゃ脳に良いみたいです。

 

今の人類のDNAは狩猟採集時代にまだ引きづられている。と言われています。
小さな集団の中で、相互の協力体制を築くことができた集団たちが、遺伝子を後世に伝えることができたと思われるので、互いに感謝をし合うことが、身体に良い効果を生み出すように自然淘汰してきたのだと思います。


ということで、
”他人に感謝ってよくわかんねーぜ”
と昔の僕のようにひねくれている人でも、

他人のためではなく、自分のために、他人に感謝してみるのは得策です。

 

例えば1日寝る前に1つ何かに感謝するようにしたら、
ドーパミン、エンドルフィン、オキシトシンセロトニンなどの効果により、
気分は良くなるかもしれません。

僕は毎日の日記の中で記述していくようにします。

 

では。

扁桃体コントロールトレーニング

最近少しバタバタし始めてきたので、日課の運動、瞑想、読書に対して、ちょっと面倒だな。。と思うことが多くなってきた感じがします。

一見するとネガティブな傾向なのですが、人の幸福度は発生する事象そのものではなく、それに対する解釈が40%程度を占めているそうなので、今回はこれをポジティブに捉えてみます。


感情を主に司る扁桃体と感情をコントロールする機能を持つ前頭前野を結びつける、鉤状束(こうじょうそく)という脳部位があります。

鉤状束が太い人は、感情コントロールがしやすく、細い人は感情コントロールが苦手なようです。

サイコパスはこの機能が弱く、欲求に忠実に非人道的なことでもできてしまうようです。

感情のコントロールができないとまぁ社会的によろしくないこともしてしまいがちなのは、アルコールにより前頭前野が麻痺して感情コントロールができなくなった酔っぱらいによる事件がよくあることからもよく想像ができます。

 

鉤状束を太くすることができれば、感情コントロール力は高まると思われます。

 

そこで朗報ですが、脳には可塑性というものがあり、筋トレのようにその能力を頻繁に使えば鍛えることができるそうです。

この鉤状束についても、感情制御の訓練を繰り返すことにより、質量自体を増やすことなどもできるそうです。

不安やパニックに強く、誘惑に負けにくい脳を作るためには、感情に打ち勝つという訓練を繰り返すと良いってことですね。


そう思うと、毎日楽しく、メリットを見出しながらやっているルーティンに対して、面倒だなと思う気持ちが芽生えたとしてもそれを抑え込んで日々続けることは、鉤状束の強化トレーニングになる気がしています。


いつもやってるのに面倒だと思うってことは、脳機能強化のチャンス。
扁桃体を制御するトレーニングになる!と、逆に嬉しく思って取り組めば良い。


▼参考文献

脳科学は人格を変えられるか? | エレーヌ フォックス, Elaine Fox (原著), 森内 薫 |本 | 通販 | Amazon

人生の夢に「完了日付」は必要なのか?

ここ半年の記事の傾向を振り返ってもわかるのですが、どう生きるのか?が最近の自分のテーマだなと思います。

どうすれば死の瞬間に満足を感じられるか?が命題で、
スティーブ・ジョブズが言った、「今日が最後の日だとしても、それをやりたいと思うだろうか?」を愚直に自分に問いかけている感じです。


うわ、、文章にしてみるととても重たいですね。。。


結構気軽に考えてます。。。
今度のデートはどこに行こうかな。というお店選びをするぐらいライトにふらふら考えていることです。


「今日が最後の日だとしても、それをやりたいと思うだろうか?」

5年前10年前だったら、そんなことを問いかけるなら、毎日飲んだくれて遊びまくるぜ。と思っていましたが、そういう話ではないんだなということが最近理解できてきました。

 

今は長期的なビジョンを追い求める、1日1日の生産的な活動が大事なんじゃないかと考えています。

 

人生の夢。には、具体的な完了日付は必要ではなく、それを追い求める事自体に心がときめけば十分なんだと思います。

目的/夢:完了日付不要。目指すことに心ときめけば良い。

目標:完了日付必要。具体的に達成していく事柄。

という定義になるかと。

 

そして、夢は必ずしも1つである必要もないかもしれないです。
2つか3つあっても良いかと。

ただ、0は結構しんどいかもしれない。

なにかあったときの思考の拠り所がなく、日々目標を達成していっていたとしても、その努力の意味合いが何なのか、なんのために努力しているのか理解しにくいと思う。


ベストよりもベターの積み重ね。
と言われますから。

とりあえず自分の中のベターを掲げて、日々UPDATEを繰り返していけば良いかなーと思います。


僕が今掲げているのは
「映画のように、マジックを楽しむ」です。

マジックショーがデートスポットになったら良いのに。と思ってます。

 

夢は達成することが大事なのではなく、
目指すことに心がときめくことが大事。

資本主義の無駄で過度な競争に疲弊しないように、マイペースに生きていきます笑

では、おやすみなさい〜

無理に期待に応えようとしない

遺伝子レベルで得意不得意が決まる能力は多々あるようなのですが、僕自身、完璧主義的な考え方をしてしまうクセがあるので、”苦手”は努力によって克服できるはずだというバイアスを少し持っています。

遺伝子的に苦手分野になっているのに、

努力して練習すれば苦手でも人並みレベルにはできるようになるはず。
自分が人並みにそれができないのは努力不足が原因。
もっと頑張ろう。

と考えてしまうと、結構辛いことになります。


これが、身長だったらわかりやすくてあきらめが付くのですが、
論理的推論能力とかIQとかになったら諦めにくい。

「30歳で身長165cm,頑張って175cmになるために毎日たくさん寝てます!」
って人には、そろそろ諦めよう!って教えてあげたくなります。

身長の遺伝率が66%に対して、論理的推論能力の遺伝率が68%、IQの遺伝率が77%です。
それぞれ身長よりも大きな影響を遺伝によって受けていて、努力が介在できる余地が少ない領域です。

ある程度の努力を注いでも上達が見込めなかった分野については、諦めることも肝心なのかもしれません。


僕の場合、歌うのは好きですがどうやら音程とかは取れないタイプで、そこそこ音痴な方です。(音程も結構遺伝で決まるらしいので、これは僕の責任じゃない!しゃーない!笑)
レーニングしたこともないので、やってみたい気持ちはありますが。。まぁ歌手とかにはどうあがいても無理だろうなと。
ダンスは結構得意なんですけどね〜。

あと、ハイテンションで人と沢山関わっておしゃべりをするのは疲れてしまうようなので、接客業、サービス業をメインの仕事にするのはあってないだろうなと思っています。
(マジックのパフォーマンスをするのは好きなので、続けていきますよ!)

元気いっぱい!明るく楽しく!笑顔で!幸せいっぱい!を自分で表現するのは苦手です。

 

こういった”苦手”を、自分の欠点、悪いところとして捉えると治したくなっちゃうので、最近は、ただの特徴の一つ。として捉えるようにしています。

ルックスが山下智久福山雅治みたく整っていなくても、欠点とは捉えず、個性の一つとして捉えるのと同じように。

苦手で何が悪いんだ。ってとこです。

努力不要。と言っているわけではないです。
努力ではどうにもできないことは存在するので、ちゃんと見極めよう。という話です。
一定以上の努力を注ぐ事ができなければそもそも話になりません。


自分自身で、苦手分野だな。。と思っていることであっても、他人から期待をかけられているとき、無理に頑張って応えようとしてしまうこともあるんじゃないかと思います。

報われない努力というものは残念ながら存在するので、無理やり他人の期待に応えようと頑張るのは結構な消耗戦。

他人の期待を満たすために生きているわけではないので、努力の矛先は、他人に期待されているかどうかではなく、自分でそれを極めていきたいかどうか。だと思います。

 

Willを大切にしつつも、自分のOSに無理に逆らわないようにしていけば、もう少し気楽に毎日を楽しめる気がしています。

今日も瞑想楽しかったです。

それでは。

自分のモチベーションは、自分で管理する。

今日少しだけハラハラというかイライラというか、心ざわつく出来事があったのですが、
その後、瞑想していると、どんどんざわざわが落ち着いていく感覚を覚えました。

瞑想なんだから当たり前じゃんって感じですが、実際に体験をしてみると、「おぉほんとに落ち着いてきた〜!」と感動するところがありまして笑

 

これまで、瞑想にはその日に現れるような短期的な効果を「なんだか落ち着く感じがする」程度にしか感じてきていなかったので、新しい発見でした。

今日の感覚を大切に、短期的な効果を感じるようにしていきたいと思います。

 

というのも、長期的なメリットだけしかないと、物事を続けるのは結構しんどいのは多くの人が同意してくださると思います。
脳の仕組み的にも、人が何かを習慣的に行うようになるのには、「行動」と「報酬」の頻度と時間的距離の短さが重要になるそうです。

 

紙タバコでのニコチン摂取は、喫煙という行動とニコチンが脳にめぐる報酬までの時間が非常に短く、かつ、毎日何十回と高頻度でその行為を繰り返すことになるので、非常に依存度が高いそうなんですね。

運動を習慣的にするために長期的な効果だけでなく、短期的な「運動自体が心地よい」とか「その日1日の集中力がUPする」という効果にも目を向けていました。

 

同じような短期的な効果を瞑想には大きく感じることができていなかったのですが、今日、明らかにざわざわが静まっていき整っていく感覚を覚えたので、それを大事に、短期的な報酬として捉えるようにしていきます。

 

これで、より瞑想に取り組む気持ちづくりが楽になります!やったー!

 

イライラの原因を作ってくださった方に小さな感謝をしつつ、今日は終わります。

ではでは。

 

知識と体験、どっちが大事?

百聞は一見にしかずとはよく言うことですね。

何かを学ぶにあたって、知識ばっかりを蓄えるよりも、実際に体験して見ると手っ取り早く学ぶことができると。

陸の上で泳ぎ方の練習をずっとやるよりも、
実際にプールに飛び込んで見たほうが上達は早いよ。ってことですよね。

 

ですが、
「知識を得ることではなく、経験こそが大事だ」
は言い過ぎな気がしています。

 

確かに、経験/体験を持ってして初めて”わかる”ものというものは存在しています。

”赤”という色の特徴をどれだけ調べて知識として得たとしても、実際に目で”赤”を見ることで初めて本当の意味で”赤とはなにか”について知ることができます。

が、それだけではなく、知識だけで”わかる”こともたくさんあります。

知識を得ることが意味なかったら、この世に本がこれだけ多く存在している価値がないってことにもなりますから。。

 

ただ、知識を得るだけでは現実世界は何も変わっていかないことは確かです。

知識を得ることによって、手っ取り早く先人の失敗と成功を学び、自分の体験に活かすことができてこそ、学ぶことの強みになります。

 

知識と体験、どっちが大事?という話ではなく、

知識と体験の行き来をすることが大事だ。という話だと思います。

 

知識/知恵として「原理・原則」を学び、
それをもとに「事実・事象」を経験し、
その結果をもとに、「原理・原則」を精緻化し、
再度「事実・事象」に取り組む。
というループだと考えています。

 

「原理・原則」と「事実・事象」どちらか片方に偏るとおかしなことが起きるかもしれませんね。

実現できない机上の空論や非常に非効率な行動の反復など。

 

両方の要素を更新し続けているか?と振り返りつつ、日々を過ごしていきたいと思います。

では。