スキルが熟達したかどうかの判断基準について
先日投稿した、
運動性記憶/分散学習の特性を利用した、
効率的な手品の練習方法について(下記記事)に関する延長でまとめてみました。
「わかる」と「できる」は違う。
とはよく言いますが、「できる」の中でも、段階があるようです。
運動学習に関する様々な説から、
どの段階に至れば、「習熟した」と言えるのか。
考察してみたいと思います。
・「練習が運動の獲得に与える影響」
参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/rika1986/9/3/9_3_123/_pdf/-char/ja
※1994年なので、少々古いですね。。。
運動の学習における練習の効果として、
習熟したことを容易に識別できるものは主に次の4つ
1:パフォーマンスのスピードの増加
2:正確さの増加、もしくはエラーの減少
3:課題の要求度合いに応じた柔軟性の増加
4:運動課題遂行時の注意要求度の減少
1,2:習熟されたパフォーマンスにおいて最も改善される。
3:より高度に習熟した場合の特徴として見られる。
4:より練習が進めば、別のことに注意を向けることができるようになる。
・NLP学習の5段階
参考:https://www.nlp.co.jp/000200.php
※これは有名ですね。
1:無意識的無能(知らないから、できない)
2:意識的無能(知っているが、できない)
3:意識的有能(知っていて、できる)
4:無意識的有能(意識せずとも、できる)
5:無意識的有能に意識的有能(教えることができる)
1:無意識的無能(知らないから、できない)
やり方を知らない。それゆえできない。まず知る必要がある。
2:意識的無能(知っているが、できない)
やり方を知っているので、挑戦するが、できない。
3:意識的有能(知っていて、できる)
意識すれば、できる。ある程度の集中力が必要。
4:無意識的有能(意識せずとも、できる)
考えなくても、意識しなくても、集中しなくても、できる状態。
この段階に来ると、他の何かと同時平行でもできる。
5:無意識的有能に意識的有能(教えることができる)
自分が無意識にできることを、他人に教えることができる状態。
・運動技能学習の3段階説
参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/56/3/56_187/_pdf
参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/rika1986/9/3/9_3_149/_pdf
※運動学習の分野を漁ると、よく提示されている3段階です。
運動学習には段階があり、3相に分かれている。
1:認知段階/初期相/認知相
2:連合段階/中間相/連合相
3:自動化段階/最終相/自動相
1:認知段階/初期相/認知相
どう運動を行えば、成功するのかの理解。宣言的記憶の段階。
2:連合段階/中間相/連合相
頭で理解したことを体で表現する。
感覚情報フィードバック、結果の知識(KR)が重要。
何を行うか(宣言的記憶)の状態から、どのように行うのか(手続き記憶)へ変化する。
※この段階で、自分の運動を言語的に説明が難しくなってくる。
3:自動化段階/最終相/自動相
意識しなくてもできる。平行して別の運動ができる。
運動遂行に対する言語説明は不要となる。
◆◆◆◆◆整理◆◆◆◆◆
それぞれの段階を整理すると、下記のような形になるでしょうか。
1:無意識的無能(知らないから、できない)
2:意識的無能/認知段階(知っているが、できない/知るフェーズ)
3:意識的有能/連合段階(意識すれば、できる)
※パフォーマンスのスピードの増加/正確さの増加、もしくはエラーの減少
/課題の要求度合いに応じた柔軟性の増加が見られる。
4:無意識的有能/自動化段階/運動課題遂行時の注意要求度の減少(無意識でできる/注意せずにできる)
5:無意識的有能に意識的有能(他人に教えることができる)
結局NLPの分け方が分かりやすいですね。
ただ、5番の「無意識的有能に意識的有能」というのは、運動学習とはまた別の話の気がしています。
無意識的有能に達していなくても、他人に教えることができる人はいそうですし。
が、
自分が無意識にやっていることを言語化させて、再現性を高める。
スランプに陥ったときにも拠り所にできる。
という側面から捉えると、第5段階として設けておくのも良いかもしれません。
それぞれの学習段階の後期に共通していることは、
習熟してくると、意識せずとも自動的にできるようになり、
かつ、他のことに意識が向いていてもできる。
ということですね。
◆◆◆◆◆まとめ◆◆◆◆◆◆
・運動学習はまず正しい動きを知ることから始まる。
・動き方を知ったところで、実行ができない段階があるけど頑張ろう。
・できるようになっても、意識しないとできない場合はまだ伸びしろがある。
・他のことに注意を払いながらでも、できるようになると、最終局面。
・自分が無意識にできることでも言語化して他人に教えることができると、完璧。
なんか、巷でよく言われるようなことで、いまさら的な結果ですが、あれらって科学的にも正しそうですね。