感情と思考の分離
時として感情は合理的な意思決定を邪魔します。
冷静に、合理的に考えればおそらく選択肢Aが望ましいであろうが、
感情的には選択肢Bが良いから、Bを選んでしまった。
という経験、誰しもがあるかと思います。
それ自体については、良い悪いと判断されるものではないと思いますが、
今自分は、感情に流されて意思決定を下したのか、
合理的に考えて意思決定を下したのかを区別して、
あとから無駄な後悔をしないようにしたほうが良いかと思っています。
→先天性のサイコパスでない限り、基本的には感情と思考はセットになりがちで、
訓練をしないと感情と分離して考えることは難しいみたいです。
感情と思考の分離をするための手段としては、
瞑想、感情の点数化、感情要素の抽出&数値化などの手法があるようです。
瞑想が代表格だとは思います。
僕自身、日頃から感情と思考の分離を心がけていますが、
過去に最も分離できていたなぁと思う時期がありました。
それは、禁煙に取り組み始めた当初です。
禁煙を始めた当初は、「タバコ吸いたいなぁ」という軽い欲求ではなく、
冷や汗をかきつつ、ちょっと瞳孔開きつつ、
「タバコを吸わないとやばい。。」という恐怖に近い欲求を感じてました。
禁煙なので、この欲求を自分のことではないかのように客観視することで欲求を抑えていました。
具体的な手法としては、
・「あぁ今、タバコ吸いたくなってるわぁ」と客観視を試みる
・欲求に点数をつけてみる。
・一旦10から0まで数を数えてみて、再度欲求に点数をつけてみる
・イメージの中で欲求を風船のように丸く持ち、じっと観察するor空気を抜くイメージを作る
などなど。色々と。
段々とニコチン依存が治ってきて、「吸いたい」と思わなくなってきたのですが、
おかげさまで分離力は身についていたので、
喫煙欲求以外の欲求に対しても、その頃は思考と分離してコントロールできていました。
「強い欲求/感情が生まれ、それを無視する」
という行為を日常的にやっていたのが良いトレーニングだったんだろうなと思いますが、
もう今や喫煙欲求は無いので、このトレーニングができていない状況です。
どうやって「強い欲求/感情が生まれ、それを無視する」というトレーニングを日常的に続けるのか。
無視し続けると、自然と慣れていくので、
また新たに無視すべき強い欲求が生まれるような策を講じる必要があります。
一つのアイディアですが、、、
禁止することで強い欲求が生まれるような日常の何かをどんどん捨てていけば、できるのかもしれないです。
お菓子を食べる。豪華な食事をする。
夜食を食べる。お酒を飲む。オシャレをする。
ゲームをする。たっぷり寝る。
などなど。これらを捨てていくことで、
次々と無視すべき強い欲求を生み出し続けることができるのではないかと。
と、、考えると、お坊さんが質素なのって、、、、、
この感情と思考の分離トレーニングが行き過ぎた結果、
身の回りの多くの人が求める俗物を切り捨てていき、
あの状態に到達したという歴史的背景があるかもしれない。。。
仏教って思っていたより深くて、実用的なのかもしれないです。
とりあえず僕は瞑想を続けていきます。
ではまた明日!