Cardician's Blog

映画鑑賞のようにマジックを楽しむ習慣を

良い意味でも悪い意味でも他人に無関心

こんにちは。工藤悠也です。

このブログは僕が日々感じたことや考えていること、気になったことや気づいたことや勉強になったことなどを毎日綴っている場所です。


たまに「怒らない人は心が広いというわけじゃなくて、そもそも他人に興味がなかったり、他人に期待していないだけ。」ということを耳にすることがあるかと思います。

この理論、僕的にはかなり合ってると思っています。

少なくとも僕が怒ったりネガティブな感情を外に出したりすることが少ないのは、それについて無関心で、その人についてもそもそも期待していないから。という面が確かにあります。

 

「なんでこうじゃないんだよ!」
と感情が高ぶっているとき、自分がなぜ高ぶっているのか冷静に振り返ってみると、その人に対して、期待をかけているケースが往々にしてあります。

 

人が社会に対して不満を感じるときは、「本来であれば社会やこの世界はこうあってほしい」という期待があるからこそ、そうではない目の前の現状に対して不満を感じるのだと思います。

 

そういえば、昨日YahooやTwitterのトレンドに上がっていた、「生の選別」についても、僕としては、「生の選別をするホモ・サピエンスの生態系」と「選別をしない生態系」のどちらが合理的な生態系なのかを知らないので、どっちがどうだという意見には繋がりませんでした。

性の選別 女児1.4億人消える - Yahoo!ニュース

 

「性の選別をする社会は悲しいじゃん」というご意見については「人間、翼をもって空を飛べないなんて悲しいじゃん」とか「未だにアマゾンの奥地で生活してるなんて、文明の利器にありつけなくて、かわいそうじゃん」といっているのと変わらないと思っていて、ご本人の主観で話している範疇に留まっているかと思ってます。

それぞれの人がどのような主観に基づいて考えているのかはそれぞれなので、どう考えようと良いと思います。

それ自体を否定するとかそういう話ではなくて、僕はこの話題について、「こうあってほしい」という期待と関心がないので、心傷まず、生態系としてどっちが良い選択肢なのかを知ってから良し悪しを判断したいな。と思います。

 

例えば医療の高度な発達によって、人類として生き残るべき強い遺伝子だけではなく、本来であれば淘汰されるはずの弱い遺伝子も後世に継承されていくようになることで、全体の種として弱くなっていくと思いますが、それでも自然に逆らって科学の力でどうにかするのが、人類の歩む正しい道だ。とされるのかどうかなど、意見の分かれるところだと思います。


そういえば、他人に対して期待するなということは、アドラー心理学でも言われていた気がします。

・自分の課題と他人の課題を分離して、自分でできる課題に注力しよう。

・他人の課題はどうなるか自分にはわからないから、無理に介入しようとするな。

・承認欲求を満たしてくれるかどうかは他人の課題だから、そんなものに縛られずに生きれるようになろう。

などなどです。

冷たい人間になるということではなくて、現実的な線引きを持つ。というニュアンスに近いと思います。

 

怒りっぽい人、ネガティブな感情がすぐ発生しやすい人は、
捨てても良い関心事や捨てても良い期待を過剰に背負ってはいないだろうか?
と、振り返ってみるともしかしたら良いかもしれません。。。


何も、僕自身、全てに対して無関心で期待がないわけじゃないですからね。。。くれぐれも。。。笑

ではでは。また明日。