難しい手品と良い手品
おはようございます。
日付が変わり、数時間が経ちましたが、
まだ私は寝ていないので、31日の体裁で書きます。
→毎日更新という対自分向けの縛りのため、、、
この記事は12/31分の記事です。まだ寝てないのでギリギリセーフ。
さて、ふと思い返すと、手品の始めたての頃は、
上級者の人が難しいテクニックをさらっと使って、
不思議な手品を繰り広げるのに憧れて、
難しいテクニックを使えるようになろう!と努力していました。
その心意気があったからこそ、様々な技法の習得があったので、とても大事なマインドだと思いますが、
どこかのタイミングで、難しい手品であることと、良い手品であることは相関関係にはない。
ということに気づく必要があると思っています。
これは、マジックはお客さんに披露するときに裏側の構造を秘密にするという変わった特性があるから。
という理由ではなく。
マジックにかかわらず他分野でも同様のことが言えると思っています。
例えば、音楽でも同じで、
演奏が難しい曲が良い曲。というわけではなく、
別の軸で良い曲というものは決まっていると思います。
PaganiniのCapriceは難しくても、良曲ではないという評価があるかと。
※これは雑談ですが、マジックの場合、(流派の違いもあるかもしれませんが、)とてつもなく不思議であること。と良い手品であることは、これまた別次元の話です。
不思議=良い手品ではないです。
漫画の世界でも、絵が上手いことと漫画として優れていることは別次元かと。
ジャグリングの世界でも、
実際にその技が難しいかどうかはあまり関係なく、
難しいことをやっているんだ。と伝わることが大事です。
なので、いきなり6個のボールでジャグリングをするのではなく、
3個から始めて、徐々に増やしていくスタイルをよく利用します。
良い手品かどうか。
この感覚を磨くのはかなり時間が必要になると思いますし、
たった一人で磨いていくのにも無理がある気がしています。
この辺りの良し悪しの感覚を掴むためには、
おそらく手品以外のアートにもたくさん触れて、
世の中のいわゆる良いものにたくさん触れる必要があるのかなと思っています。
その中で、自分にとっての良し悪しを徐々に形作っていき、
それをマジックでの自己表現にも還元していく。
このような学びのプロセスが上級者へ至るためにはおそらく大事なのかなと。
少なくとも、
表に見えないから、裏はこの程度で楽に効率的に済ませよう。
という考えだと、そのこすい考えが表のパフォーマンスににじみでちゃいます。
難しい手品が良い手品ではないですが、
努力を注がないマジシャンは、良いマジシャンではないはず。
そんなことに気づかせていただける環境が身近にあって、
そこで育つことができてよかったなーと思う元旦でした。
昼ごろまでとりあえず寝ます。
ではまた!