愛情ってゼロサムゲームなの?
こんにちは。
愛情って、相手の自律性を束縛するものではなく、尊重するものだと思ってます。どうも工藤です。
特に意味合いはないのですが、ふと思ったことで、当たり障りの内容に書き記しておきます。
議題は「愛情はゼロサムゲームなのかどうか。」です。
僕の見解は、No。です。
愛情を表現する行動は24時間という時間制約の中生きている以上、ゼロサムだとは思いますが、愛情という気持ち自体はゼロサムではないのではないか?と思います。
マジックが好きな人が、映画を好きになったら、
映画を嗜む時間が増える事はあるでしょうが、
「映画が好きになったから、マジックは嫌いになりました」
となるのはあまりイメージが付きません。
コンビニで新発売されたスイーツを食べて、好き!って思ったら、以前食べていたスイーツを好きじゃなくなる。ということはなさそう。
子供が複数いるお母さんは、愛情を行動で示す時間は分割されてしまうと思いますが、愛情自体が分割されてしまうことはないのではないかと。
一人だったときの愛情を10だとして、
二人目が生まれたときには、5と5に分割されるのではなく、10と10になるイメージです。
脳内で起きていることを考えても、極論、特定の刺激に対して、報酬系など快感回路が活性化されるようになっていれば良いと思うので、神経細胞的観点から見た起爆スイッチの限界量に達しない限りゼロサムではない気がします。
とは言っても、親密な友人関係を築くことができるのは5人程度が限界。とも言われているので、人間関係の構築という観点からは5人程度を限界量としたゼロサムかもしれませんね。
”好き”は好きなだけ増やせると思う。
たくさんの人に対して自分が愛情を持つことは可能だと思う。
何か/誰かを好きになったからと言って、他の何か/誰かを嫌いになったというわけではないと思う。
ただ、相互の関係性を良質に築くことができるのは5人程度が限界らしいので、無理に友達100人を目指さなくても大丈夫。